Daimyo/本名:ひらいゆたか 生年月日/1961年8月27日、埼玉県久喜市生まれ。O型、乙女座。久喜幼稚園、久喜市立久喜小学校、久喜市立久喜中学校、埼玉県立不動岡高等学校、日本大学芸術学部放送学科マス演・上滝徹也ゼミ卒業。 幼少の頃よりDaimyoと呼ばれる。その名の由来は本人も知らない。小学一年の仮装行列ではすでに参勤交代の大名行列で、あだ名から大名役をやらされる。剣道もそれが原因なのか習い初め中学では部長に。県大会まで出場するが...高校では何故か音楽部へ入部。 年上のいとこ達の影響で、幼稚園時代はスパイダースやタイガースなどのGSに夢中。小学時代はビートルズのレコードに小遣いを費やす。中学一年の時、たまたま見た「モンタレー・ポップ・フェスティヴァル」のTHE WHOに釘付けになる。そこから今日までの ロック人生がスタート。しかしマジなBAND生活は大学3年の終わり頃、同じ大学の級友がギタリストに勧誘してからで、作詞作曲すらした事がなかったし、卒業時も就職するか迷っていた。...がしかしPOW!の結成によりメデタク...プータロの道へ。 日芸で一緒だったベースの根岸孝旨と久喜に住む小田原豊をドラマーに80年代渋谷エッグ・マンを拠点に活動。同ライヴ・ハウス出演最多記録を達成とともにメジャー・デビューできない記録という金字塔も建立。 夢でもあったキース・ムーン追悼コンサートの企画が通りエッグ・マンでスタート。POW!を中心にTHE WHO好きなバンド・マン達が集う。現在も高円寺ShowBoatでDaimyo企画によって続いている。 途中、小田原のレベッカ参加。ツアーの多忙により一時的にPOW!は活動を停止。同じ埼玉で妻沼の加藤ひさし達とザ・コレクターズを結成、ライヴ活動を始める。約一年間活動するがギタリストとしての活動に欲求不満がつのり、小田原からの強い切望もあって、コレクターズを脱退。POW!再始動を目指すが、なかなかうまく行かず以前からの友人の誘いで上海行きを決意。 約3ヵ月の上海そして中国放浪。イヴニング・スクールでギターを教えたり友人の紹介で上海のミュージシャンとも交流。コンサートにも出演するが、現在のようにすべてが開放的ではなかった時代、様々な検閲や機関への出頭を経験。世話になった家庭のマミー、馬恵梅さんが亡くなった後、毎年墓参りに訪れている。バラード「People」は彼女に捧げてレコーディングされている。 ヴィザ切れと時を同じくして、メンバーからの活動熱望をしたためた手紙が届き帰国。POW!再始動。関西ツアーやインディーズからのCD発売、ラジオ出演等積極的な展開。幼少時代のアイドルだったムッシュかまやつ氏とも活動を共にする。広島平和コンサートやネルソン・マンデーラ歓迎コンサートでは氏と共に往年のスパイダース・ナンバーをTHE WHO的なアレンジで演奏、放送されたものがいくつか販売されている。 90年代に入ってからは、小田原のドラムにレベッカのベース高橋教之、そしてパーカッションにタダシを加えCountry Bearsとして新たに活動。現在も不定期ではあるが小田原や高橋とは活動している。 オーストラリア先住民の楽器ディジュリドゥーの代表的プレイヤーCharlie McMahonに出逢い、意気投合。彼のバンドGondwanaland初のジャパン・ツアーに出演。二人は独自のプロジェクトによる作品作りを約束。オーストラリア政府の援助で北部アーネムランドの未開放地区を4WDで旅をする。むこうのニュースでもリポートされる。その体験を元にアーネムランド・オペラとして、チャーリーが再来日した際にライヴで演奏。The Shaking Snakesである。 Daimyo's Big Mob!としてCD発表。メンバーは日戸修平(g)滝野浩一(b)関慶和(ds)に加えゲストとしてチャーリーやムッシュ、難波弘之氏なども参加。Daimyoオール・スターズのような豪華顔ぶれ。 現在、DaimyoはBig Mob!の滝野浩一と始めたレーベルNEW ASIA RECORDを中心に、CD発表&ライヴ活動を行っている。今後も新作、そして過去の貴重な音源もNEW ASIAから続々と発売予定♪ (つづく) |
〜DaimyoがTHE WHOに目覚めた頃〜