池袋にあったYAMAHA東ショップ(今もあるのかな?)でPOW!の前身バンド、KIDSは活動をスタートした。初めての練習テープは大切に保管してる。そこで小田原は、とんでもない事をシデカシタ。奴の原点は...本人はとっくに忘れてるだろうが...そこにある。

 いきなりブっ壊したんだ。もちろん...ドラム・セットを!おまけに壁に穴をあけてしまった。もう時効だから、白状しても大丈夫だと(?)思うけど...。

 奴とは、その時が初顔合わせ。当然、同じ街の住人だなんて知る由もない。ベースの根岸が、高校時代やってた仲間に心当たりがあるからといって、連れてきたのが...何か神経質そうで、真面目そうな(!)小田原だった。

  *

 当時、KIDSにはリーダーがいて、ヴォーカルの上田力...この道に引きずり込んだ男。奴も日芸で同じ学科。ベースも同じ学校の根岸。この二人は1年の頃からバンドをやっていて、力がヴォーカルに専念するためギタリストを探していた。学食である日、悪仲間たちとバカ話してた時、話題が何故かTHE WHOになった。自分自身、バンドにはあまり興味がなかったし、当然就職活動しなくては..と思ってた3年の秋である。ハッキリ言ってこの話題〜THE WHOについて〜他の野郎には語らせないぞ...という性格だったのが過ちの始まりだった。

 「よし、それじゃ..今度、俺んちにアンプとか用意しとくから、騒ぎがてらみんな来いよ!」..と。いつのまにか、ギタリスト。もちろん、ちゃんとしたバンドなんて初めてで、THE WHOのコピーにゃ自信があったけど...オリジナルなんて作ったこともない。鼻歌で童謡は書いたことがあるけど(飼ってた軍鶏のテーマ曲、7歳の時/名曲!?)。

 悪いことにそのバンド、ライヴが決まってるのに曲がなかった。力のコネで、ユイ音楽工房の人が来るという。さてどうしよう..ドラムだって決まってないじゃないか...という事で、力と二人でライヴまでに曲を作り、根岸がドラムをあたってみるという手筈に。

  *

 年下っていうし、なめられたらまずいぜ..といきなりお得意の廻し弾き(!)ジャンプにジャンプを重ね...。こいつ、何曲かとりあえず、合わせるんだろう...と思ってた矢先!小田原はブチギレタ!!見るも無残、YAMAHAのドラム・セットはバラバラに。パーツが外れただけで大丈夫だろう?..ところが世の中そんなに甘くない。パーツのひとつが壁に突き刺さっていた。

 「このアンプ、少しこっちに動かせば、穴なんて見えなくなるから平気だよ〜」

 「.......(コイツ、きれるな).....」

 「お前、キース・ムーンみたいだな〜好きなん?(埼玉訛り)」

 「何?それ」

 奴はTHE WHOのフの字も知らなかった。力と二人、顔を見合わせ頷きあう(こいつしかいない)。驚いたことに、近所に住んでる事が判明。即メンバーに決定!

 小田原豊/浪人生...そして入試を控えた奴の家では、当然招かれざるバンド・マン。しかし小田原・提案で第2回目の練習場所は、6畳ある奴の勉強部屋となった。自分自身のドラム・セットで近所の迷惑省みず、演奏は絶好調。一気に5曲仕上がったのは最高だったが...帰宅なさったお父上に土下座(!)すること約一時間。

 「うちのユタカ、受験なんだよ。どうするの」

 「いや、彼は日本でNo.1のドラマーになりますから...」

 「.....」

 めでたく第一回目のライヴ(渋谷屋根裏にて)も終了。ユイのスタジオをタダで使わせてもらえる事となった。

 .....あれから幾年月か?おこずかい叩いて手に入れたフェンダーのギターは、若気の至り...何度もブッ壊して、Daimyo博物館に眠る。小田原といえば...その後、何回かスタジオの壁に穴をあけ(本当!)、Egg-manでは対バンのドラム・セットをも破壊。2回程、事務所で長時間の再々(!!)土下座。

 「レベッカでできない事、自分のバンドでやってんじゃね〜よ!」

 そう言われた奴は、次のレベッカで爆裂粉砕!やっぱ真面目な男なのだ?!<つづく>