5 1990年 July/7月・5号より

T「あ、そういえばシナソ(信濃町ソニー)ね、オーディション2回やってるの」

*ノリさんがですか?

T「うん、あそう、レベッカでねメンバー捜す時。一回目はドラムとキーボードの代わる前の話で。ドラムが代わって、8月のね何日か忘れたけど、Egg-manでライヴやって、その時ディレクターが見に来てて。その人が良いって言ってくれて、悪い気はしないとか言って帰ったの覚えてる(笑)それで何日かしてソニーのオーディションを信濃町ソニーで受けたの」

O「実は、あのこれちょっと余談なんですけど。POW!の前身BANDがKIDSってやつで、ボーカルの奴が別れて、POW!はPOW!で活動していたんだけど、そのボーカルの奴にデビューの話が来て、3スタでやったことがある。オーディションみたいなやっぱり同じやつを。で、大名もその場でギターを弾いたことがある!そのころのCSの体制とかは同じだから、ディレクターは誰とかは全然覚えてないけど、そのドラムの人に俺のドラムセットを貸してあげて。で、ディレクターの人が”やってくださーい”ってことで曲を始めて。その曲を始める前に大名達は音チェックでThe Whoをやってたの。なんかこう盛り上がって、こうやって緊張をほぐして思いっきりやれるようにいったらいいなと思って見てたら、ディレクターが”あいつらなにやってんだよ。1時間いくらすると思ってんだよ”って。そん時カチンときたんだよね。結局その力って奴は”バカヤローッ”ってタンカを切ってやめちゃった。...そんなような感じでレベッカもやってたと。それでレコードが出る事になったと。その時の感想など。レコードが出たっていう...」

T「あんまりこう変化は感じなかったよね。ただなんかこれでお客さんも増えて女にもてるかなとか、そういう期待ばっかりで(笑)」

O「で、レコーディングの感想は?」

T「便利だなっていうのは思ったね」

O「間違えてもその部分だけ差し換えられると(笑)」

T「そうそう(笑)」

O「でもスタジオを使って録音してる時には結構”俺達プロなんだ”っていうか、そういう一流のスタジオで一流の機材でミキサーとかアシスタントの人もいて、メシなんかもでちゃったりして、注文して何か食ったりしてリッチじゃない?気分的には。そういう満足感みたいなのは」

T「そんななかったね」

O「結構カツカツでー経費がないからちょっとー、とか...」

T「そういう事も直接は言われなかったね。俺自身ももうなんか、その時でさえ”この音楽わけわかんねぇな”っていうのが(笑)ちょっとあるからさ。なんか木暮もいいだしっぺでさ。レコーディングになれば、もうしょっちゅう木暮とディレクターがケンカしてるでしょ」

O「そのディレクターがヴィレッジシンガーズの...」

T「そうそう」

O「ヴィレッジシンガーズのギターの人で、彼としては、こうハーモニーがしっかりしてて、きれいな音楽が好きで。でもレベッカサウンドとしては荒削りなニューウェーブっていう...」

*そうだったんですか!?

O「そうだよお前。バリバリだよ!!ノリさんが髪の毛.....殴られるぞ、ノリさん怒ってるんだからな!(笑)」

*すっすいませんっ!

T「あ、そうそうレコーディングやってる時に金髪だったの頭が。眉毛も剃り落として...」(3人爆笑)

*ゴイス!(笑)ぬいちゃったってやつですか?

T「眉毛の上からこの上がね、レモン色なの。その下が黒。ミック・カーン、Japanの」

*ああ、はいはいわかります。

T「”ノリちょっと地味だから、このくらいいった方がいいよ”って話になって...」

*染めて来ちゃったんですか(笑)

T「よし、じゃあやろうってことになって。リハーサルかなんかの帰りでさ、皆で楽器車に乗って”ノリちょっと地味だから何かやった方がいいよ”って」

*盛り上がっちゃったと。

T「ミック・カーンどお?って言うんで”じゃあ今からやろう!”ってドラムの奴連れて脱色しちゃった」

*すげぇ!最初のミニLPの中の写真はその頭なんですか?

T「だんだん曲が出来上がってきて、デビュー直前になってきてレコード会社の人が”やっぱり髪の毛も短くて黒い方が高橋君似合うよ”って」

*ささやき作戦で(笑)それでデビュー前に戻ってしまったと。で、眉毛は自然に生えてきた...すごいなそれ(笑)見たかったなオレ。

O「それで一枚目のレコードが完成した...」

T「その時のプロデューサーが後藤次利だったけどさぁ」

*プロデューサー”後次”だったんですか?

T「ほとんどスタジオには来なくなって、来ても聞いてすぐ帰る。木暮がもういきがってたからね。当時は皆そうだったけどね」

O「それでシンコーミュージックに決りました」

T「で、ライブやるでしょ?(客が)入んなくて」

O「その時に会ったんですよね、また。それ俺POW!だったっけ?」

T「POW!」

O「平山みきじゃなかったっけ?」

T「平山みきじゃないよ」

O「Egg-manでまた再会しました」

T「3人とも、あれ、なんだっけ...モッズの...」

O「モッズコート」

T「着てね」

*カラスみたいに(笑)当時もう3人だったんですか?

O「3人。歴史を感じるなぁ。それで”やぁ久し振りだねーっ”って言ったら、もうデビューしててプロのこれから売り出すぞーってとこで。楽屋ももう、POW!とレベッカ、別々だったような気がする。その頃Egg-manってさ、PA席と照明席の間とステージの裏の楽屋があって。で、レベッカはPA席の方の楽屋で、ポスターとかも出来てる。REBECCAってやつ。ヘアメイクさんもいてマネージャーもちゃんといて、完璧な体制だった。もう皆メイクしてて」

*えっ!?ノリさんがメイクやってたんですか(笑)

O「そりゃちゃんとするよ。セイキマツだってしてる(笑)”いやーポスターができたよー”って誰か事務所の人が持って来た。その光景をね、いまだに覚えているっていう...覚えてます?ポスター持って来た時」

T「いやー覚えてない...リハなんかで...」

O「”良かったねー事務所どこなのー””シンコーミュージック”シンコーミュージックって楽譜とかミュージックライフとかで有名だったでしょ?」

*他にはいなかったんですか?

O「いやもうアーチストは昔から甲斐バンドとかチューリップ、ほんと初期でね。で、”シンコーミュージックだー”とかいって」

*それが久し振りの2度目の再会。

T「当時3人だったじゃない?3人バンドっていうと俺ポリスがパッと浮かんだ訳よ。で、客席で立話してて、ポリスが好きだってお互いにそういう話になって、ネギボツが。

で、えらく盛り上がったんだよね。当時としては珍しい音で」

O「それでまた会って”いやー、お客さん増えないんだよね...””そっかー。じゃあ頑張ってね〜”ってその時は別れた。その後また会いませんでした?オールナイトかなんかで。Egg-manだったような気がする」

T「当時東京はEgg-man、新宿ルイード、ロフト、クロコ、その4つに出てた。デビューしてからはほとんどルイードとEgg-manだったな」

O「俺たちはね、たま〜にクロコ、でEgg-manとフォーバレー」

*屋根裏は?

O「屋根裏はほんの数えるぐらいしか、2・3回しかやってない」

T「その頃から屋根裏は人気って言うか盛り上がりが無くなってきたよね」

*今の話は何年頃の...

T「これはね84年」

*まだ小田原さんは入ってないし、その段階にも届いてない...

O「久し振りだねぇ、頑張ってって言ってそれでまた別れちゃった。で、POW!は地道にやってて、レベッカは今度はツアーとかに行きだした、地方に」

T「そうそう」

O「TVでCMやってたんだよなぁ。♪ヤァヤァヤーヤヤーツッツッタツッツッタ...(いきなり歌いだす)レベッカど〜のこ〜の登場!って夜TVでやってたんだよ。(再び)♪ヘチマヘチマでヘチマよ〜♪」

*あーっ!それ俺高校生になったかなんないかですよ。84年でしょ?その頃っていったら今から6年前...中3だぁっ!そんな頃にデビューしてたんですか。俺が知ったのがフレンズの時だからかなりたってますよね。

O「その時は”やってるやってる”(笑)ってTV見てて...それで次はノリさんと土橋さんがEgg-manに来た」

T「2枚目をレベッカが作って、ドラムが腰が悪かったりして、まわりからもメンバーのなかでいろいろでてきちゃって、木暮もケンカしちゃって、レコード会社の人が全然来なくなっちゃって、レコーディングとかにディレクターも来なくってそれでもう、これ出したら終わりだなって...」

O「それであとメンバーはどうしようと」

T「NOKKOはさぁ、木暮とつきあってたから。一応女の子だし。で、それでどうしようと土橋君と二人で渋谷をブラブラしてた訳だ。スペイン坂の喫茶店に入って”どーしょーもねーなー”って。そこで小田原君の話になった訳だ。”連絡先知ってる?”って言うから”いやわかんねぇな。でもEgg-manに良く出てるからEgg-manに行って、誰かいればわかるんじゃない?とりあえず行ってみようよ”って。二人でスタスタ歩いて行ったら

<本日のステージPOW!>って書いてあった(笑)」

*それは何かの巡り合わせとしか言い様がない(笑)

T「”なんだよドバちゃんやってるよ!!”とかいって入ったらリハーサルが始まるところだったの」

O「そん時に俺は叔父さんからプレゼントして貰ったドラムセットを始めて使った。表側のヘッドを切らないでそのままにして。で、散々悩んでる時にノリさんと土橋さんが来た」

T「もちろんドラムの事はすごく気にしてたわけ。何かポリスっぽいなってのが印象にあったから。話してる時にPOW!やって、他の仕事もやってるって言ってたから、もちろん平山みきもやってたし...」

O「ちょうどノリさんたちが見に来た頃ってS-KENだからラテンだ、サルサだ、メレンゲだ〜って深い所いってたから」

T「85年だね」

O「それでその時はいきなり言われたんだっけ?やってみないかって」

T「そうそうリハーサルやって、チューニングしてる時に客席に来て」

O「久し振りって」

T「今日はこういう訳でドラム捜してるからやってみないって言って、うーんって(笑)考えてたんだよね」

O「とりあえず」

T「とりあえず考えさせて、みたいな...。で、電話番号聞いて自宅にTel.した」

O「その時覚えてるのは、まぁその話聞いて、またドラムセットに戻ってやってたら、二人で”いいんじゃないかなぁ”って話して」

T「結構凄い音してたんだよねあの時(笑)」

O「こう、ノリさんがステージの方にこっち向いて、土橋さんは反対向いてステージを背にしてるの(笑)そん時の顔!(力をこめて)すっげぇ印象が悪かったわけ(笑)うわぁやな奴だなこいつってのが第一印象」

*それいやですよね。

O「本当にそういう感じだったんだよ」

*どう思っても今日はそういう話で来たんだからってのはありますよね。それが第一印象...(笑)

O「俺覚えてるもん。ネギボツに”いや〜レベッカ、ノリさんとか他のメンバーは埼玉で盛り上がっていいんだけど、キーボードの人暗くってさ...”って。で、ニューヨークだったじゃない?俺ポリスはコピーしまくるぐらい大好きだったんだけど、もうBOW WOW WOWはとうの昔に卒業してた訳、POW!で。で、その時はS-KENにはまっててラテンだとかレゲエのビートどうだとか深い所いってたからさ、今更ニューヨークはねぇだろう、みたいなのはあったわけよ」

*それでその後少し間があって入ったわけですか。

O「そう、その間はね、まずマネージャーからTel.がかかってきた。”じゃとりあえず皆で音出してみよう”って、シンコーのスタジオへ行ったんだよね。俺はレベッカのテープ

持ってなかったから、NOKKOの大親友のえんどうともこさん、NOKKOの歌の先生みたいな人。その子は俺が高校の時から良く知っててそのえんどうのバンド手伝ったことがある。その時ギター弾いていたのがNOKKOの兄貴だった(笑)それは高校卒業してすぐだからNOKKOの兄貴がレベッカやめてから。で、俺はNOKKOのこと知らなかったわけ全然。その頃えんどうちゃんってのはNOKKOの兄貴とつきあってた」

*NOKKOのお兄さんってのも知らなかったんですか?

O「知らなかった!NOKKOっていう存在さえ知らなかったわけ。それで”レベッカ誘われて”って遊びに行った時にレコード聞かせて貰ったわけ。この歌、歌ってる子は実は、山田こうじの妹なんだって、ドヒャーッってなって。ちょうどそれ前後してるから微妙な位置だから...。NOKKOはキャラクターもあるし、ソロでやったほうがいいんじゃないのって考えてはいたわけ。そしたらえんどうが言うには”いや、あの子はソロでやるような度量じゃないからね。やっぱりバンドがいて成り立つ子だから”って言ってたから。じゃあとりあえずレコード聞かせてよって。家に有るのはまだえんどうのレコード。それ借りてきて、ヴァージニティーとナッシングトゥールーズだっけ?...3曲ぐらい。マネージャーからTel.かかってきて、シンコーのスタジオに行ってそれ3曲。はっきり言ってニューウェーブは嫌で嫌でしょうがなかった。もし本当にしっかり活動したいバンドであれば、売れた方が良いから売れる音楽やった方がいいんじゃないかって思ってたのね。ちょうどダンス・ミュージックが流行ってた頃、マドンナが出るか出ないかって時それに注目してた。で、もったいねぇなぁ〜って思ってまずセッションやりました。それで皆事務所の方へ行っちゃった。俺とノリさんで”ノリさんポリスやろうよ”って二人だけでポリスやってた。そこに皆入って来たのね。皆見てて。で、喫茶店に行った。オーディション終わった後。で、木暮君の一言、”ドラム良くないね”(笑)”なんだこいつ!?”ってなっちゃって、こりゃとんでもない奴だと思って。こんな奴とやりたくもないし、口もききたくもないと思って、で、その日は帰った。で、メンバー交代があった」

T「その後、一回解散ってことにして、また新たに残ったメンバーで始めることにした。

俺とNOKKOと土橋君と、もうメンバーはこの3人だけにしようってことになって、あとドラムとギターはサポートしてもらうっていう形を取ろうって言って、小田原は木暮がやらないならやるって感じになったの」

*あぁ、そういういきさつがあったから...

T「それで当然、木暮がいなくなれば、やる音楽も変わるからさ」

*そうですね。

T「それで、入ってきた。ギターもオーディションやって古賀がそのオーディションの中にいて。なんか一つはあるって感じだったから誘ってスタートした」

O「その時になんかね練習やってて”今日レコード会社のディレクターが来て次のレコーディング、小田原を使うか使わないかその人に決めて貰うから頑張ってね”とか言われちゃって、練習やってる時に。誰かに言われたの、小林さんだったかなぁ。”何がディレクターだ、ばかやろーっ。俺を使わねぇだ!?笑わせんじゃねーよ”とか思ってたの。そして出て来たのが山西さんっていってレベッカのディレクターで、しかも昔ホット・ポイントっていうマージー・ビートのバンドやってた。昔実はPOW!を始めるか始めないかって頃にボーイズ・クラブっていうバンドやってて一緒にライヴ出た事がある。フーの初期とかストーンズ、ビートルズの初期のマージー・ビートが好きだったからそのホット・ポイント聞いてて”かっこいーっ”って思ってて、山西さんに”かっこいいですね”って言ったら”いや、今日が最後のステージで、九州へいってお好み焼き屋でもやろうかと思ってんだよ”って言ってたんだ。それっきり会ってない。で、そこのスタジオで”なにがディレクターだよ”って思ってて、来たのがその山西さん。あれーってことになって。レコーディングはするってことになったんだけど、古賀君は参加しなかった」

*そうなんですか?そのレコーディングっていうのは...

O「ワイルド&ハニー」

*俺そこから買いだしたんだ(笑)

O「古賀君はレコーディングしなかったんだよ。ていうのは、曲もだんだん本格的なポップになって、とりあえずうまい、良い演奏しないと。バンドでロックだぜ〜ってのが無くなっちゃったから。そこへ出て来たのが是永君だもんね」

*そんな時から是永さんだったんですか、すでに。ライブは参加してました?

O「レコーディングだけ」

*ライブは古賀さん。

O「レコーディングやって...レコードを作ったわけやね、これが」

*それが今のメンバーでやってたんですね。

O「そう。で、ラブイズキャッシュのLPの♪ラブイズキャッシュ”カコッ”♪っていうウッドブロック。この”カコッ”だけをオバヲさんがやってたの(笑)それだけを(笑)」

*全編にわたってそこだけですか(笑)

O「そこだけ。オバヲさんとこれちゃんとNOKKOとノリさんと土橋さんと俺。今のレベッカのフルメンバー」

*その時に全員いた訳ですよね。

O「オバヲさんは楽器屋さんでバイトしながらアマチュアのバンドやってて、そのバンドのドラマーがグラスバレーのドラム」

*グラスバレーは俺の高校の先輩がギターだから...

O「あそこのラーメン屋にサインあるじゃんかよ!(笑)」

 

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楽屋ネタも10年経つと立派な物語になるもんですね〜...いやいや旧世紀こんなこともありました...前回同様これ以上のコメントは控えます

でもね〜言わせて貰えるならこんなもんじゃ〜すまね〜ゼ!!

血圧にヒビクノで、続きは本人達のNEWヴァージョンを待ちましょう??

(2001/1/2 Daimyo)

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