1989年 August/8月・2号より

〜平成大名へのインタヴューで綴る今さらのPOW!ヒストリー〜

小作人>殿!POW!への質問が目安箱にたまっておりますので答えていただけますか?

大名>よろしい。なんなりと申せ!

小作人>どうして上海へ旅に出たのですか?

大名>故郷へ帰ったのさ。それだけ。

小作人>えっ!大名ってやっぱり中国人なんですか?

大名>俺の本名は源義経といって以前ジンギスカンとも呼ばれていた。すなわち蒙古帝国をつくったのは俺で.....(永遠と続くため削除).....わかったか?

小作人>いやいや恐れ入りました。ところで新曲の「peopleどこへ行ってしまうの〜」というナンバーは中国人民のことを歌っているのですか?

大名>君ね!義経は国を追われてモンゴルへ渡ったのだよ(またかと小作人青ざめる)..ともかく「昔、ぼくが暮らしていたあの街はもう〜」の下りは”血の日曜日”の後つくったことは確かだ。しかし最初は言葉がストレートすぎて、あまりしっくりいかなかった。

POW!はそういうバンドだからね。だからもっと広い意味で”望郷”や”あの人は今”のような内容にしたんだ。

小作人>ザ・フーのカヴァーをやっていた頃のPOW!はモッズ・ファッションだったんですか?

大名>何だね!モッズ・ファッションって何だね!君たちは、どれだけモッズについて知ってるというのかね?!(小作人また青ざめる)俺達はファッションにルーツを持ったことなんてないよ。まだ暴走族やヤンキーの方が、そっちにかけちゃ上手だぜ!気どるな!俺達のルーツはザ・フーというバンド、ただそれだけだ。

小作人>どうしてドラムやギターを壊していたんですか。あれはファッションじゃないんですか?

大名>バカヤロー!どこにそんな金があるというんだ。ザ・フーは確かにファッションとして演出効果をやっていただろう。でも感情が入り込み過ぎれば誰だって壊したくなるはずさ。POW!やザ・フーの曲だったらね。

小作人>最近は壊さないですね。

大名>君が俺のめんどうをみるというならいいぜ。(近くに置いてあったギターをつかみ上げる)それじゃ〜、一曲君のために披露しようか?この場で。

小作人>ハハー...恐れ入りました(小作人ひれ伏す)

大名>モッズ・ファッションしてるバンドと対バンでライヴをやった時のことだ。その日、ドラム・セットは使い回しでそのバンドのを借りたんだ。モッズの客が多いというから丁寧にスーツを着ていったんだ。その頃はビート・バンドっぽいオリジナル曲が多かったから「こりゃ、今日はいける」とみんな思ってた。...ところがドッコイ、しらーっとしたフンイキで「何あれ〜?」的な顔つきしてやがる。俺はその頃90kg以上も体重あったんだ。「そんなに気持ち悪きゃ見るなってんだ!聞けー!」と思ったね。オリジナル曲をやったけど、あまりにノリが悪いのでステージの上で話し合って曲を奴等の好きそうな60年代のナンバーに変更した。「これならどうだ!」と思ったよ。ザ・フーとかスモール・フェイシズとかね、ガンガン演奏した。そしたらノルどころか耳をふさぎ出す女の娘もいた。血の気の多い小田原は頭にきて楽屋に戻ってしまった。俺は「楽器がトラブったから待っててくれ」と客に言ってネギボツと二人で奴を説得した。...「俺達を見に来てくれたダチに失礼だろう...やろう!」と。

 結局、奴も納得して”マイ・ジェネレーション”というザ・フーのカヴァーを最後やろうと小田原はニヤっと笑って言った。イヤな予感がした。会場は「まだ終わんないの〜」的な空気に包まれている。気を取り直して演奏。そして最後にその曲をやったとたん小田原は、持ち前の天性で対バンのドラム・セットをこなごなにブっ壊しちまった。予感は的中した。それから後は君でも想像つくだろう。客は”帰れコール”だし楽器の弁償、PAやお店の人には土下座してあやまらなくちゃならなかった。若かったというか、昔からバカだったというか...それでもEgg-manでライヴが続けられていることを本当に感謝してる。とっくにそんなバンド締め出しくらってるはずなのに...。まあ、その対バンやその”やから”のバンドは大概、解散しちまったけどPOW!は相変わらずだよ。

小作人>7年間のレパートリー随分あると思いますがライヴでは昔の曲とかもやってるんですか?

大名>”うかれサマータイム”あれは1982年につくったKidsハというバンドの時から俺達のレパートリーだ。あの曲だけはメンバー全員、思い入れがあっていろいろアレンジをしちゃやってる。自分達の課題曲ってやつかな。”O-kay"はビート・バンド臭かった頃のもので、この手の曲は以前いっぱいあったんだけど今は「この曲だけで十分だろう」ということでレパートリーにしている。他は最近の曲だよ。まあ、思い出して古い曲やる時もあるけど。

小作人>最近は、やたら自分達のことを歌ったナンバーが多いですね。

大名>”友達の助けをかりて”という曲の「心配かけてすみません、今は少しだけ元気だから大丈夫...」というセリフはそもそも友達に出した手紙のさわりなんだ。別に郵便屋の宣伝するわけじゃないけど、たまには手紙ぐらい出した方がいいぜ。...とにかく詞に関しては深く考えた時期もあったけど、今はメンバーとの会話だけで十分成り立っているよ。曲なんてバンドにとって日記みたいなものだからね。誰とは言わないけど俺、いや俺達はあの曲であやまっている。

小作人>メンバーは全員、埼玉県出身ということですが...

大名>埼玉県在住じゃ!

小作人>すっみ...ません(ふたたびひれ伏す)練習とかもやっぱり埼玉でやってるんですか?

大名>以前は近所にスタジオがあって...そうそう、そのスタジオすごかったぜ...TBSの”ぴったしカンカン”とか、ワイドショー番組なんかでリポートされたこともあったけど、昔はその店、銀行だったんだ。レコード屋の中にあるスタジオだったんだけど、金庫だったその場所にそのまま楽器を入れてスタジオにしてたんだ。みんな”金庫スタジオ”と呼んでいたよ。そりゃもうギンギンのサウンドで、今まであんなに音のはね返るスタジオなんか使ったことないな。1時間500円だったし、最高だったね。おかげでみんなちょっと耳が遠くなっちゃったけど。なんせ、うちのメンバーは練習の音にかけちゃライヴ以上にでかいからね。このスタジオで、かなりPOW!は今のスタイルつくったね。イキまくり的なサウンドを...その店がつぶれてからは都内でやってたけどノリが悪いから今は地元でやってるよ。

小作人>森下仁丹は、どうして脱けたのですか?

大名>奴は最高の飲み友達だ。もともと彼は小田原と中学生の頃、同級生でPOW!結成の頃からよく出入りしていた。「どうして?」という問いに関して、ただひとつ言えるのは、煮詰まったということだ。仁丹のファン...ゴメンナサイね...そうそうPOW!のプロフィールをつくったんだ。読んでくれたまえ...それから”Bad-boy-funk”という新曲のセリフを注意して聞いてくれ、またここで俺達はあやまっている。

小作人>あやまるの好きですね〜。

大名>ふとどきものめ!いまだかつてそんな殿様がいたか?暴れん坊将軍とは誰のことか知っとるか?

小作人>ハハーッ、大名殿です(いいかげん絶句して声が出ない)。

大名>参勤交代・創刊号は、かたい論文が多かったから...君!今回はリラックスしてくれたまえ。頼むぞ、小作人!

小作人>いえいえ大名殿の”お毒味指南”など、なかなか味がありましたよ。

大名>そうかそうか、なかなか嬉しいことを言ってくれるな。ほめてつかわすぞ。それじゃ”ザリガニ編”につづく第二弾”カエル編”をつくろうかな...。

小作人>大変すみませんが、今回はお腹いっぱいでございます。

大名>んー、残念じゃ!.......<つづく>

*もう11年も前のインタヴューだなんて...あまりの成長のなさに反省(?)です。事実(!)だからシカタナイですね。こんだ、この続きやってみたいですね〜...でも平成小作人は、今何処にいるのでしょうか?...言いたい事あるのに!原文中の”ネギボウ”は正しい”ネギボツ”に直し、90kgは90kg以上に...あしからず!<Daimyo2000/10/27>

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